青年会議所とは
青年会議所は、「明るい豊かな社会」の実現を同じ理想とし、次代の担い手たる責任感を持った20歳~40歳までの指導者たらんとする青年の団体です。人種、国籍、性別、職業、宗教の別なく、自由な個人の意思によりその居住する各地域の青年会議所に入会することができます。
全国的運動の総合調整機関として日本青年会議所が東京・千代田区にあります。また、アメリカ・セントルイスには国際青年会議所(JCI)事務局があります。現在、126の国及び地域に117国家青年会議所(NOM)を数え、約160,000人(2019年1月現在)が国際的な連携をもって活動しています。
日本青年会議所の綱領には、青年会議所の行動理念と目標を明確に表現しています。創立以来の「三信条」は、JC運動の歴史を追って具体化され、青年会議所運動とは、「指導力開発(LD)と社会開発(CD)であるとも言われてきました。その後に、JC運動の機軸は「自らに活力と知力を兼ね備え積極果敢に社会改革運動を実践できる人間」であるとの考えから「人間力開発」も必要であるとし、日常の活動の場を通して、われわれ自身を開発し、市民運動の先頭に立って進む団体、それが青年会議所なのです。
青年会議所の誕生
JCの誕生は固によってその原点は異なることがありますが、JCIの誕生に至るまではアメリカJCの活動力によるところがとても大きくありました。
1905年の初め、セントルイスの若い銀行員ヘンリー・ギッセンバイヤーは、この社会は青年が真に活躍すべきであるが、その為には伝達の媒体が足りないと思っていました。1910年、彼は「青年の活動」に心を燃やし、「ハーキュレイニアム・ダンシング・クラブ(巨大なダンスクラブの意)」を起としました。これは社会団体として初歩的なものであり、もっぱらミーティング場所となっていました。やがて、セントルイス商工会議所と友好関係を持つようになり、1918年「青年商工会議所」と命名して発足し、さらに1930年にJCマークがデザインされ、1944年メキシコ・シティーにおいて「国際青年会議所」の設立決定がなされました。
一方、日本では、第二次世界大戦直後において、精神的にも物質的にも極度に荒廃した状態にあった時、経済界で活躍している青年達の間に一つのグループを作ろうという機運が生じました。それは、青年らしい情熱を燃やして”よりよい社会”を築き上げていこうというものでした。
この趣旨のもとに集まった青年の手によって東京青年商工会議所が1949年9月3日に設立され、これが日本の青年会議所運動の皮切りになりました。